初詣の「ベビーカー」と「車椅子」を同次元でとらえることには、やはり想像力の貧困さを感じてしまいます。
批判を受けるかも知れませんが、あえて書きます。
社会の風潮としてベビーカーを保護、擁護することは決して悪い事とは思いません。
しかし、それを「権利」として主張するのが当然、という考え方には抵抗があります。
擁護する側の「意識の啓蒙」は必要ですが、受ける側が「権利を主張が当然」というのは少し違うような気がします。
バスでも電車でもベビーカーは本音では「迷惑なもの」なのです。バスでは発車が遅れたりもします。でも、それを保護し、守ろうという意識はほとんどの人が持っており我慢していると思うのです。
しかし、それを「当然の権利」とあからさまに主張されたりすれば、不快感を持つ人がいるのは当然だと思います。
最近では、豪華な大型の「ベビーカー」も多く、前扉からバスに乗せるのに四苦八苦した挙句はいらずに、中央扉から入れたために大幅に時間がかかる例もありました。
バス利用者はせめて「小さめのベビーカー」を選択するくらいの心遣いは欲しいものです。
トラブルを防ぐのは「権利」や「義務」ではなく、お互いの「心遣い」なのだと思います。
これが全く機能しなくなると、規則や罰則で縛るしかなくなります。
今の時代、価値観の多様化は仕方がないのだとは思いますが、変わらない共通の価値観も大切にしてほしいと願います。