曲が収録されたのは米国盤「ヘイ・ジュード」で、ジョン・レノンが前妻と別れ、オノ・ヨーコと
結ばれたことで傷ついた息子ジュリアンを励まそうとポール・マッカートニーが作ったものだ。
それが日記タイトルのチェコ解放とどう関係するか・・・
閉塞的な共産主義路線であったチェコに、自由化の動きが出た1968年。
チェコの自由化を恐れたソ連が武力侵攻を開始する。
首都プラハもソ連軍に蹂躙され、人々はやっと手に入れた自由を再び奪われる形となった。
そこに立ち上がったのが、当時チェコで人気が高かった女性シンガーのマルタだ。
マルタは戦うことを決意する。
戦うと言っても銃を持って戦うわけではない。
自身の武器である「歌う」ことをもってソ連に戦いを挑んだのだ。
マルタはビートルズの「ヘイ・ジュード」を武器に選びカバーする。
それは多くのチェコ市民に浸透していく。
当時、西側の音楽を全面禁止していたソ連は当然、圧力をかける。
しかし地下に潜って聴き続けられる。
チェコが真の解放を得たのは1989年だ。
それまでの間、多くの市民が圧制に苦しんだ。
チェコ市民のインタビュー映像を見たことがあるが、多くの人が「ヘイ・ジュードに
救われ・支えられた。ヘイ・ジュードが無かったら今のチェコはなかった。」と言っているのが
印象的だった。